――北側の仕事場の窓をあけると道路があって川が流れていて
麻生三郎「川の向こうの道に住む人たち」『絵そして人、時』中央公論美術出版、1986年より
その向こうに細い道がずっとすこし登り坂になって見えた。
わたしはこの細い道をその周囲の家をながいあいだ描きつづけてきた。
東京都・世田谷の世田谷美術館。ここは世田谷ゆかりの作家が残した作品を多く所蔵する館でもあります。一時、世田谷区の三軒茶屋にアトリエを構えた麻生三郎もその一人。そして今回、公立美術館での麻生三郎展は約10年ぶりとのことです。
4月下旬、新緑が眩しい木下道を歩いてプレス内覧会へ。会場風景の写真を織り交ぜつつ、展覧会の魅力についてご紹介します。
『麻生三郎展 三軒茶屋の頃、そしてベン・シャーン』の概要
現代の人間像を鋭く見つめ、戦後美術に確かな足跡を印した画家・麻生三郎。
本展では麻生の生誕110年を記念し、彼が世田谷区三軒茶屋に住んだ1948年から1972年までの約25年間に焦点を定めています。
また、麻生は20世紀アメリカを代表する社会派の画家、ベン・シャーンに強く惹かれました。彼自身が蒐集した、ベン・シャーンの版画集『一行の詩のためには…:リルケ「マルテの手記」より』も麻生の作品とあわせて紹介しています。
・麻生三郎の作品が見たい!
・池袋モンパルナスや戦後の近代絵画をもっと知りたい!
・現代美術家の奈良美智さんが推していた作家の絵を見てみたい!
麻生三郎は、1913年に東京で生まれた画家です。
初めは豊島区長崎のアトリエ村(池袋モンパルナス)に住んでいましたが、戦後末期の空襲で焼けてしまったため、1948年に世田谷区三軒茶屋にアトリエを構えました。
この再出発の地から《ひとり》や《赤い空》など、戦後復興期の代表作が生まれました。現実と対峙しつつ自らの内面を深く見つめ、そこから浮かび上がる人間のいる風景を一貫して描いたことが特徴的です。
1960年代には、絵画を通して安保闘争やベトナム戦争といった社会問題に向き合い、個の尊厳をきびしく問いました。一方で、虫や小鳥など、身近なものにも澄んだまなざしを向けています。
うさぎ、アヒル、猫を飼いながらささやかで穏やかな暮らしを営んでいた麻生。そのアトリエの様子は、「アンゴラ兎と家鴨のいる画室」として1950年11月に美術手帖で取材されています。
本展では、麻生三郎の油彩と素描あわせて約110点を集めて展覧します。また、麻生が手がけた挿絵や装丁なども必見です。同時代の文学者たちとの交流が分かり、油彩とは一味違った魅力も楽しめます。
特別協力は、麻生三郎作品を多く所蔵する神奈川県立近代美術館さんです。
麻生はアトリエの窓から三軒茶屋の街並みを眺め、その日常をキャンバスに表しました。
敗戦から10年を経た日本は戦後復興期から高度経済成長期へ。目まぐるしい変化の中で、麻生は人・街・自然の関係性や時代性を表現する情景にじっと目を凝らしたのでしょう。
とはいえ、一見どす黒く暗澹としているようにも見える画面は、「復興の希望」や「平和な日常」とは程遠いように思えます。夕陽だってこれほど赤くはないのでは。彼には世界がどう見えていたのか、想像の余地が広がります。
代表作の1つ《ひとり》は麻生の母と娘がモデルだと言われています。二人で向かい合いつつも“ひとり”であると、人間の本質的な孤独を突きつけるメッセージ性の強さが刺さります。
絵画だけではなく、麻生は彫刻作品も手掛けました。直立してまっすぐにこちらを見る人物像は、絵にも彫刻にも見られるモチーフ。そこに表現されているのは力強さか、意志か。鑑賞者はさまざまな解釈を巡らせることになります。
それぞれの絵のタイトルは異なっても、よく見ないと違いが分かりにくいかもしれません。少し離れて見てみると、描かれている主体が薄ぼんやりと見えやすくなります。
麻生は墨と水彩を用いて、独自の絵画表現を確立しました。
どちらも《裸》と題された2枚の作品は女性を描いていますが、その印象はいわゆる“裸婦像”のような聖性や艶かしさとは全く対局のところにあります。コントラストの強さと躍動感のある筆運びは、夢想ではなく真に人間の「生」を炙り出すような現実感をもって迫ります。
文学に関心のあった麻生は、さまざまな文学者や評論家とも交流しました。劇作家・三好十郎もそのうちの一人です。
麻生は、ベン・シャーンの没後に東京国立近代美術館で開催された回顧展を見て深い感銘を受けます。
以後、長年にわたってベン・シャーン作品を自ら蒐集しました。社会派と称される近代の画家として、強く惹かれるものがあったのでしょう。本展は麻生三郎とベン・シャーン、二人の作品を並べて見ることが叶うまたとない機会です。
麻生三郎が三軒茶屋に住んでいた時期は、25年間を経て終わりを迎えます。
やがて、首都高速道路や地下鉄の建設工事で制作環境が悪化し、麻生は1972年に川崎市多摩区生田へと転居しました。その頃の実感として「ものが人間をへこましていた」という言葉を残しています。戦後日本が復興の希望へと向かう中、急速な近代化によって損なわれていく何かを見逃しはしなかったのです。
近代絵画の魅力は、画家の人生や当時の社会や暮らしがありありと伝わること。
赤と黒で塗りこめられた画面の中に、あなたは何を見出しますか?
会期は6月18日(日)まで。
世田谷美術館では、同時開催展のミュージアム コレクションⅠ「山口勝弘と北代省三展 イカロスの夢」(2023年4月22日(土)~7月23日(日) 2階展示室)も鑑賞できます。
同じく第二次世界大戦後の日本において、前衛芸術の出発点に位置する〈実験工房〉の作家を取り上げています。中でもフィーチャーするのはメディアアートの先駆者として活躍した山口勝弘と、モビールの作品や写真の仕事が印象的な北代省三です。
また、[コーナー展示] 追悼――矢吹申彦では昨年10月に逝去されたイラストレーター・矢吹申彦の作品を、コレクションよりご紹介しています。是非ご一緒にご覧ください。
会期 | 2023年4月22日(土)〜2023年6月18日(日) |
住所 | 東京都世田谷区砧公園1-2 世田谷美術館 1階展示室 |
時間 | 10:00〜18:00(最終入場時間 17:30) |
休館日 | 毎週月曜日 |
観覧料 | 一般1,200円、65歳以上1,000円、大高生800円、中小生500円 |
TEL | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
URL | 世田谷美術館|https://www.setagayaartmuseum.or.jp/ |
交通案内 | https://www.setagayaartmuseum.or.jp/guide/access/ |
緑が美しい、自然豊かな砧公園の景色もお見逃しなく。