【展覧会レポート】東京ステーションギャラリー『佐伯祐三 自画像としての風景』

それでも僕は、絵が描きたくて——

洋画界のスーパースターとも言われる佐伯祐三(さえきゆうぞう)。東京では18年ぶりとなる彼の大規模な回顧展が東京都・丸の内の東京ステーションギャラリーで開催されています。

大阪・東京・パリの3つの都市と深い縁を持ち、ゴッホやユトリロからも影響を受けた佐伯。その生涯は30年と非常に短く、さらに画業に励む中でたびたび作風を変えたことでも知られています。

100年近く前に彼が描いた風景画、そこに投影される自我と精神は現代の目線からどのように読み解けるのか。1月半ばのプレス内覧会の様子を本記事でお届けします。

A4チラシ コルドヌリ(靴屋)
会場内の写真について

※本展主催者の許可を得て撮影をしています。

『佐伯祐三 自画像としての風景』の概要

東京ステーションギャラリーは近代洋画の展覧会を積極的に開催しています。このジャンルの展覧会は決して多くありませんが、「それでもしつこくやり続けよう」とするのが館のポリシー。「洋画をきちんと伝えたい」と取り組むミュージアムが贈る、熱のこもった展覧会です。

本展の企画・構成を手掛けたのは大阪中之島美術館。2022年2月2日に開館した美術館で、設立のきっかけには佐伯祐三作品が大きく関わっていると言います。

その昔、山本發次郎(やまもとはつじろう)という大阪の実業家が、佐伯の死後に作品価値を見出して蒐集しました。貴重な佐伯コレクションは3分の2が空襲で失われるも、残りは大阪市に寄贈されたのです。このことが美術館設立のきっかけとなり、現在は同館で60点を誇る世界最大の佐伯コレクションが保管されています。

本展の巡回先でもある大阪中之島美術館は現在『大阪の日本画』展を開催中。後にこの展覧会は、東京ステーションギャラリーへ巡回します。東京・大阪の2都市で手を組み作り上げた展覧会です。

音声ガイドを務めるのはアナウンサーの有働由美子さん。兵庫と大阪で育ち、NHKアナウンサーとして大阪局に勤めた後に東京アナウンス室へ異動された有働さんは、佐伯と同じ大阪府立北野高等学校の出身というご縁があります。まさに大阪・東京どちらにも縁があるところも佐伯と共通しています。

大阪弁で語られる佐伯の言葉も必聴です。

佐伯が描いた自画像。実は人物画は少ない。
佐伯が描いた静物画。独特の質感が魅力的。

近代洋画家・佐伯祐三とは?

佐伯祐三は1898年に生まれ、仲が良かった従兄弟の影響で絵を始めました。両親を説得して19歳で上京し、現在の東京藝術大学の前身である東京美術学校へ入学します。26歳で初めて渡仏したとき、彼はモーリス・ド・ヴラマンクとの出会いを果たしました。

画家の先輩たちに憧れてパリへ来た佐伯ですが、ヴラマンクに「このアカデミック!」と厳しい言葉を投げかけられ、自分の画家としての在り方を1から模索することになります。この衝撃的な批判は生涯彼に付きまといました。

そうした彼が向き合い続けたのは風景画です。それは単なる風景ではなく、画家の精神が投影されているとの見方から、“自画像”とも言えるものだと評価されています。

佐伯は実に多くの風景画を描いてきた。
代表作でもある《郵便配達夫》をはじめ、人物画も数点ある。

佐伯祐三展の見どころ

過去に開催された佐伯祐三展との違いとしては、章立てのこだわり。佐伯の生涯を追っていく“よくある展開”ではなく、街ごとに区分しているところが特徴的です。

また、本展を担当した学芸員の方は「赤レンガの部屋に佐伯のパリの絵を飾りたい。雰囲気が作品に合うのではないか」とコメント。展示空間そのものもお楽しみいただけます。

(手前)《ガス灯と広告》1927年、東京国立近代美術館

赤レンガの空間に溶け込む“佐伯のパリ”

東京ステーションギャラリーの2階展示室は、東京駅丸の内駅舎(重要文化財)の赤レンガを活かしたドラマチックな空間。佐伯作品との相性は抜群です。

加えて、第一次パリ時代の絵、第二次パリ時代の絵を同じ部屋で見られる構成は貴重とのこと。時期による違いが分かりやすい構成です。

向かって右が第一次パリ時代、左が第二次パリ時代。
展示室を真ん中で区切る豪快な構成。

画家の関心は古く薄汚れた壁の質感にあり、次第に「ポスター」「看板」は佐伯らしさのあるモチーフとなりました。その独特な審美眼に目を奪われます。迅速な筆捌きで自由に描いているように見えますが、実はとても写実的。広告の文字まで巧みに描く表現力にも注目です。

ともに《レ・ジュ・ド・ノエル》と題された作品。
(左から)大阪中之島美術館/和歌山県立近代美術館
同じモチーフを何度も描くのも佐伯の特徴だ。
《コルドヌリ(靴屋)》
(左から)1925年、石橋財団アーティゾン美術館/1925年頃、茨城県近代美術館
黒背景は絵の中の黒を引き立たせ、スタイリッシュな印象に。

街ごとの章立てが見せる新しい佐伯祐三

佐伯の絵を街ごとに展示することで、新しい魅力の発見につながっています。中でも注目すべきは東京。佐伯は若くしてパリ生活を謳歌するも、病弱の身を案じた兄に連れ戻されてしまいました。

泣く泣く帰ったのは東京都・下落合の町。しかしながら、彼はここで坂の多い風景を意欲的に描きます。再びパリに旅立つまでの間、この一時帰国の時代は今までの佐伯展でフォーカスされる機会にあまり恵まれませんでした。重要視や検証が少なかった時代ですが、本展では取り上げています。

佐伯は大阪時代から、身近な風景に目を向けていた。
《下落合風景》1926年頃
(左から)和歌山県立近代美術館/個人蔵
下落合の風景は坂のアップダウンが画家を魅了した。

自分なりの近代洋画を求め続けた人生

新しい街へ行くにあたり、少しずつスタイルを変えていったのも佐伯らしさ。それは自分らしい芸術表現を見出すための幾度とない試み。

しかし二度目のパリ滞在時にも、手紙には「良い絵は5〜6枚できた。まだ全くアカデミックである。そのことを日々悩んでいる」と、新しい表現を見つけてもなお苦悩に満ちている様子が窺えます。

《モランの寺》は三部作で、この建物も繰り返し描かれた。
《カフェ・レストラン》はパリで訪れた店の様子を描いている。

また、学生時代に家族が相次いで病死した佐伯は、自身の死に怯えていました。肺結核になったことで晩年には精神を病み、強い不安と失意の中で亡くなっていったと言います。もし彼がもっと長く生きて、納得できる表現に辿り着けたらどうだったのか。

佐伯の絶筆は明確にこれだと分かっていませんが、晩年に描かれたという扉の絵は、彼の輝かしい理想の未来を重く閉ざしてしまったかのように感じられます。

(左から)《黄色いレストラン》1928年、大阪中之島美術館/《扉》
1928年、田辺市立美術館(脇村義太郎コレクション)

風景画が紡ぎ見せる「佐伯祐三の物語」を見よ

彼はいわゆる“天才画家”ではなかった、そのことが展示を通して伝わります。自画像にしても風景画にしても普遍的なテーマであり、そこに自分らしさを見出し、何を表現したいかを追い求めるのは芸術家としての試練。

「僕の絵は純粋か純粋でないか、本当か本当でないか。それを言ってくれ」

佐伯祐三の言葉

閉ざされた扉は行き止まりの心象風景か。迷い模索し続けた人生は悲劇か。アカデミックの呪いに苛まれながら一人の人間が生きた、とあるノンフィクションの物語。

会期は4月2日(日)まで。それでも絵を描くことから逃げずに生きた彼の短い旅路に、何を感じますか?

展覧会情報
会期2023年1月21日(土)〜2023年4月2日(日)
*会期中一部展示替えがあります
住所東京都千代田区丸の内1-9-1(JR東京駅 丸の内北口 改札前)
時間10:00~18:00(金曜日~20:00)*入館は閉館30分前まで
休館日月曜日(3月27日は開館)
観覧料一般1,400円、高校・大学生1,200円、中学生以下無料
*障がい者手帳等持参の方は100円引き(介添者1名は無料)
*最新情報・チケット購入方法は当館ウェブサイトでご確認ください
TEL03-3212-2485
URL東京ステーションギャラリー|https://www.ejrcf.or.jp/gallery/
交通案内JR東京駅 丸の内北口 改札前
ご案内

会期・開館情報は状況により変更になることがあります。

最新情報は、美術館・展覧会のホームページやSNSをご参照ください。

本展オリジナルグッズもお見逃しなく。

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